2014年11月11日火曜日

この平成26年10月7日から平成27年1月12日まで、ブリッジストン美術館でWellen de Kooning展を開催しています。
日本では馴染みの少ないアーティストですが、それでも、入場者の数が大変多いそうですから、やはり偉大なアーティストは、ファンがどこにでもいるのでしょう。

1960年代後半、70年代におきましては、今ポップアートが注目を集めている様に、アブストラクト インプレッショニストが、最大の脚光を浴びている時代でした。
その中で、de Kooningは、現代美術市場最高値で取引されたと報道されるほどの人気の芸術家でした。海外では、個展が多く開かれ、その芸術的偉大さにおいては、歴史に残る作家です。
ブリッジストン美術館が、流行を追うより、芸術性を尊ばれ、この偉大な作家の作品を日本で紹介されるべく、この展覧会を企画されたことに敬意を表する次第です。

今は亡き人ですが、de Kooningとは、個人的に親しくしておりました。
年に何回かは、de Kooningのスタジオを訪れては、大きな室内のここかしこに、たくさん積み重ねてある作品の中から、好きなものを選んで、ゆずってもらうのが常でした。
展示作品の中にJohnと小さくメモのように書いてあるがありますが、それは、ある日スタジオでその作品を選びましたら、これはまだ完成していないので、次回、来るまでに完成しておくので、忘れないように書いておくと言って、Johnと印しをしました。
Kimikoとサインされてあるものは、私が選んだのですが、de Kooningは、いい作品を選んだと言いながら、Loveと書いて、サインしてくれました。
アーティストとの思い出は、作品を見る度に、懐かしく、作品鑑賞より「重み」が増す様です。
この展覧会で展示されている作品の内、私のコロラドの家にかざられている作品が多数あります。毎日見ていました作品も、美術館で展示されると、とてもひきたちます。
de Kooningは、将来長く、現代美術史上に名を残すアーティストと、再確信しながら、この展覧会を楽しく見ました。

2014年7月17日木曜日

皆さんも“癒し”と言う言葉をよく耳にされるでしょう。
実は鈍感な私は”癒し“とはどういうことかしら程度の認識でした。必要と感じもしなかったのでしょう。

8年前でしたが、私は軽い気持ちでワンちゃんを見にぺットショップに行きました。
まだ生まれて四か月のヨークシャテリアが店頭でピョンピョンと跳ねて、お尻尾を振っています。その可愛いこと!!
勿論、買って帰ってしまいました。それが初めで、一日中、1人(一匹?)でお留守番は可愛そうだと、もう一匹加えました。全然血のつながりのない2匹の雌がそろい、マンション中を走り回ることになりました。
不思議なことに成犬になりましたら、2匹ともちょうど同じサイズの2キロです。

今、私は海外旅行も、近くの温泉にもあまり行かず、ワンちゃんのお守をしています。
家に帰ってくると、これ以上の喜びはない位の喜びようで迎えてくれます。
心がほっとして、これは”癒される“ということなのかと、毎回思っています。

この2匹のペットの性格から、私は学ぶことが多いとも思っています。
ご機嫌の悪い日などありません。むくれたり、怒ったりしません。例え嫌なことをしても、決して避けたりしないで、すぐ寄ってきて嬉しそうです。
感情はとてもストレートで表現力も豊富にあります。人間も、きっとこんな素直な、善人になれたらいいのでしょう。

生まれが違うからでしょうか、性格の違いが大きいです。
神経質で女の子らしい8歳とマイウエイでのんびり型の7歳です。
犬でさえこの性格の違いですから、人間が百人百様なのもよく判ります。
私は、自分が正しいと思うと、他人もそう思うと信じてしまいます。他人の想いを尊重することも学びました。

年寄りには、よき友として、ボケ防止の一つのとして、ペットとの生活がいいと言われていますが、本当にそうだと日々思っています。

2014年4月4日金曜日

ポップアートの旗手、アンディ・ウオーホールをご存じの方は多いと思います。

現在、六本木ヒルズの森美術館で、ピッツバーグにあります「Warhol美術館」所蔵の作品展を開催中です。 昨年の秋には、六本木の国立新美術館で、我がパワーズコレクションの、ポップアート展をTBS、読売新聞社、国立新美術館主催で開催させていただきました。 プリポップのジャスパージョーンズを始め、リキテンスタイン等、10人程の有名アーティストの作品をコロラドから運び展示しましたが、アンディの作品が展示されていたエリアは、いつも一杯の人で人気がありました。

彼の名言に、"In the future everybody will be world famous for fifteen minutes." という言葉があります。人類の長い歴史を考えた時、1人の人間の生きている時間の短さを思うと同時に、今日の世界の動きの速さをもこれで表現していたと思われます。

以降、この名言に対して、多数の解釈が報じられています。「ウオーホールが有名でない時代、15分でいいから有名になりたいと願った」、「15分で有名になれる現代美術界から、世界を変えることができる」、「美術家は、15分間有名になるだけである」、「15分だけ有名になるのなら、より多数の人が有名になるチャンスがある」等々、意味がいささか不明なものまである様です。

ある日、私はアンディに訊いてみました。「あの言葉は物議を醸していますが、本当はどんな意図があったのですか?」と。彼は「皆さんの色々な解釈や深読みは大変面白いと思います。貴女も好きに解釈して結構ですよ。それが貴女にとっての真実でしょう」と、皮肉っぽく笑って言っていたのを、懐かしく思い出しています。

15分という時間は短いようですが、貴重な時間です。この15分の連続が、人生であり歴史であり、今のこのいとしい時間とつながりましょう。